冬の八ヶ岳登頂体験記 (三鷹医人往来 平成20年3月1日号より転載)
 

登っちゃいました、厳冬期の赤岳県界尾根

ーバリエーションルートから八ヶ岳の主峰へー

角田 徹

 

『一人で冬の県界尾根に二回チャレンジしたけど敗退した。今度一緒に登ろうぜ。』高校山岳部の先輩であるA先生から、昨年京都の学会で山に誘われた。この人はヒマラヤ遠征隊にドクターとして2回参加しているが、ともに隊員としてルート工作の先頭に立って活躍した。エベレスト西陵では無酸素で8200mまで登り、ナンガパルバットでは巨大雪崩に流されながら九死に一生を得て生還している伝説的な人である。現国立がんセンターの部長で、放射線のインターベンションを教えていただいた恩師でもある。先輩からの申し出は断れないのが山岳部の掟である。そんな訳で1月の最後の週末に八ヶ岳に向かうことになった。

天気図は猛烈な冬型で、この冬一番の寒気が本州を覆っている。日本海側、北日本は大荒れだ。八ヶ岳は太平洋側の気候なので天気はよいが、内陸部なので寒さが半端ではない。金曜日の深夜に小淵沢のペンションに入り、土曜の朝7時過ぎから歩き始めた。その時の気温は零下15℃、30年ぶりの厳冬期登山は初っ端から厳しいご挨拶だ。

赤岳は標高2899m、八ヶ岳の主峰である。赤岳から東に派出する尾根が長野、山梨の県境となっているので、県界尾根と呼ばれる。八ヶ岳の冬季ルートは西側から登るものが一般的である。東側は雪が深く、入山する登山者は極めて少ない。いわばバリエーションルートなのである。

谷間を延びる林道には先行者の足跡はなく、ラッセルはくるぶしほどだ。小一時間で指導標が現れ、右手の山腹の方へ導いている。ここでスノーシュー(西洋カンジキ)を履く。雪の斜面の微妙なくぼみや木のすき具合、所々の枝に付いている赤布などを拾いながら夏道と思しき所を登る。しばしば吹き溜まりに踏み込むと、足の付け根まで雪にはまり消耗する。夏のコースタイム1時間弱のところ2時間以上かかってやっと小天狗に達した。ここからは、前方に聳える赤岳を目指しながらの尾根伝いのルートだ。積雪はさらに増し、膝を超えるようなラッセルとなる。焦らないで雪の中を泳ぐように歩を進めた。振り返ると富士山や南アルプスが美しくゆっくりと眺めたいのだが、立ち止まると身体が急速に冷えきってしまう。歩くのも休むのも辛い。

いくつかのピークを越え、やっと大天狗に登り着いた時は14時半を回っていた。そこから少し下った鞍部に、開けて絶好のテントサイトがあった。雪を踏み固めテントを設営し、中にもぐり込むとやっと人心地が付いた。夕食を食べ寝袋に入るともうやることがない。後は寝るだけなのだが、火を消すと一気に気温が下がっていった。持っているものをすべて着込み、寝袋ごとザックに足を突っ込んでもまだ寒い。呼気中の水分がテントの内面に凍り付き、それが風に揺さぶられて時々顔にザーっと落ちてくる。沢山の細かい霰の直撃を受けているようなものだ。結局寒さに震えが止まらず一睡もできなかった。外気温は氷点下20℃を遥かに下回る、長くて辛い夜であった。

『やばい、ピーカン(快晴)だ!』の先輩の声に、真直ぐに下りて温泉に入るという妄想は払拭された。朝食をすませ、寝袋に入れていたにもかかわらず凍ったままの手袋をはめ、こちらもガチガチの登山靴を履くとすぐに手足の指先の感覚が無くなった。しかし目の前に高く聳える八ヶ岳の主峰を見上げると、登行意欲が湧いてくる。手強いラッセルと灌木帯の薮こぎを続けると森林限界に達した。ここから斜度が増すのでザイルを付ける。自分にはザイルワークの技術がないので、先輩におんぶにだっこである。40mザイルで2ピッチ程が傾斜の特に強いところで、片方が確保しながら登る。その後は、傾斜は多少緩み、ザイルを付けながらも一緒に登行できる程度だ。赤岳山頂小屋が頭上に見えているにもかかわらずなかなか近づいてこない。バテバテである。

12時までに山頂に立てなければ下山を提案しようと思っていたが、ぎりぎりの11時50分に標高2899mの赤岳山頂に登り着くことができた。空は紺色に近く、見事な360度の眺望である。この山は本州の"へそ"に位置しているので、富士山から南北アルプス、上信越など中部山岳のほとんどすべての山が見えるようだ。しかし、その感動も達成感も、これから下らなければならないルートのことを考えると吹っ飛んでしまう。早々に下山にかかった。

頂上直下の急斜面を先輩はほいほい駆けるように下ってゆく。こちらは足が竦んでいるのだが、置いていかれてはたまらないのでままよとばかりに同じように駆け下る。それでも2ピッチ分の箇所は登りと同じように慎重に確保しながら下降した。テントを撤収し長い尾根筋を下る。登り口のスキー場に17時過ぎに下り着いた時振り返ると、赤岳の頂は高く遥かなものになっていた。疲れきった頭の中に、自分はあそこに行ってきたんだ、という充実感がやっと湧いてきたのであった。

山行後10日以上経っているが、寒冷障害のため両方の足先の感覚は今も鈍い。日頃から『雪山だけは行っちゃいけない』ときつく忠告してくれる高山副会長と石井理事に、今回もこっぴどく叱られるのだろうか。

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